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陰徳(いんとく)あれば陽報(ようほう)あり。「陰徳あれば必ず陽報あり」ともいい、その意味は字のまま、陰(かげ)で徳を積めば良い報(しら)せが必ずありますよということで、人知れず良いことをすれば、必ず自分にも良い事が返ってきますよということ。

これは古代中国の前漢時代に劉安・蘇非・李尚・伍被らが編纂したとされる『淮南子(えなんじ)』とい思想書にかかれている言葉です。

ネット上の故事ことわざ辞典によれば、英語では

 

He who lendeth to the poor, gets his interest from God.(貧しき人に貸す人は神より利益を得る

He that sows good seed shall reap good corn.(よい種を撒く者はよい麦を収穫する

 

という似たようなことわざがあるそうです。

話をもどせば、私がこの言葉を知ったのはサントリーの創業者である鳥井信治郎さんのモットーだったということからです。

この言葉は鳥井さんが母親から教えられたということで、あるエピソードが紹介されていました。

 

彼はこどもの頃、母親の「こま」さんに連れられてよく大阪の天満宮にお参りに行かれていたそうで、当時その界隈にはいわゆる物乞い(ホームレス)の人たちが大勢いた。そんな人たちにお母さんは嫌な顔ひとつせずに小銭を恵んであげていたそうです。

当然、相手は「おおきに、ありがとさんでおます」とお礼を言ってくるのですが、振り返る信治郎氏に対して『見るもんやおへん(振り返ってはいけません)」と叱ります。

それに対して後年、信治郎さんはこう述べておられます。

 

「(お金が)ある者が、ない人に対してささやかな施しをするのは当たり前のこと。それに対するお礼を求めたらあかん。お礼をしているところを見てしまったら、それは見返りを求めたことになるんや。お母はんがわてをきつく叱ったのは、そのことを教えようとしていたんやな」

 

「陰徳あれば陽報あり」も、結局最後は自分への見返りを求めている偽善だという声もありますが、それを言い出せばきりがない。また、生きていく事がそもそも誰かや何かの犠牲の上に成り立っているのだから、せめて少しづつでも恩送りをしていくことは当たり前だと思います。

ちなみにお金持ちの方は必ず何かしらの寄付をされます。これは「喜捨」とも呼ばれる仏教用語でもあり、賽銭箱にも刻まれていたりもしますが、「禍福は糾える縄の如し」と同じく、自分にだけプラスを貯め込まずにわざとマイナス状態を作ってバランスを取られます。

そして再び経済を還流させる。

賽銭で思い出しましたが、神社などにお参りする際に一般的には「お願いごとをするかわりにお賽銭をいれる」、つまり願い事の代価として支払っているような感覚なのだと思いますが、本当は、これまでの無事や何か事がうまく行った際に「ありがとうございました」とお礼を述べて「何かにお役立て下さい」と賽銭を喜捨するのが本来の姿だと聞きました。

どちらにしても幸せはみんなでわかちあうから幸せなのだと思います。大金持ちになっても無人島でたった一人では楽しくないでしょう?

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